実はそのー、先に書写山へ行ったのです。今回はその写真で、一つ良しなに。

また書写山について書かれたページよりコピーアンドペーストをしますれば、

「西の比叡山」とも呼ばれる書写山圓教寺は、康保3念(966年)、

性空上人によって開かれた天台宗三大道場のひとつで西国霊場第27番札所。

本道の摩尼殿は急斜面の岩山に築かれ、京都の清水寺と同じ舞台造りが見事。

その他、三つの堂にある大講堂、常行堂、食堂など国の重要文化財もたくさんあります。」

との事だ。もし行く機会があれば手ぶらでどうぞ?



実はこの山腹への足として、ロープウェイの利用があった。当然その写真もあるのであろうと

考えられるでしょうが、撮らなかったのです。それはここへ着く前にも墓場、らしき所へ立ち寄りますが、

同行者だけ記念写真に止めたのです。ちゅうのも、調子に乗って700系(新幹線)等や駅構内を

試しに撮影をしたところ、昨日フル充電をしたはずのカメラのバッテリー目盛りが三つ、四つ在る内の

一つを示すようになったから違いないのです。セーブしたいのも事実でしょう。

おそらく後二百、三百枚ぐらいなら待つであろうとは思えるのですが、

メインイベントであるお城が据えているだけに止む無しと涙を飲んだのです、が、

被写体としては在り来たりな感が否めなかったのも事実です。



なお姫路と言う町のその多くは国有財産で占められているらしく、

工場等が退いた後は、目立った産業もないとタクシーの運ちゃんは言っていました。

平日にも拘らず、これだけの観光客で潤っていれば産業構造的には間違いないのかも?

因みに姫路市の人口は53万人ぐらいらしい?



そこで最後にくっ付けた樹木ではありますが、樹齢五百年?ぐらいらしい。尚この樹木には

説明文を印刷したプレートを付けていたのですが、見栄えが宜しくなく写さなかったのです。それが今ここに

仇となり甦ったのも事実でしょう。ではまた、ありがとうございました。